SMって、ちょっと怖い……そんなふうに思ってた時期が、私にもありました。
「痛いことされるんでしょ?」「ロウソクとか鞭とか、ちょっと怖いかも」「なんか、ハードな人がやるものって感じ」
そう思っていたし、そういうイメージしか持っていませんでした。
でも、気づかないうちに、ネットやSNSで“SM”という言葉に自然と惹かれている自分がいて。
「なんで気になるんだろう?」と思いながら、ずっと見ないふりをしていた気がします。
興味はある。でも、踏み込むのが怖い。 そんな気持ちを抱えていたあの頃の私と、同じように感じている人がいるんじゃないかと思って、この記事を書いています。
最初は、される側への憧れから
私が最初にSMという言葉を「自分ごと」として意識したのは、たしか、深夜にスマホをいじっていたときでした。
たまたま流れてきた短い小説の一節。そこには、支配される側の女性が、相手の指示にただ静かに従っている描写がありました。 何気なく読んでいただけなのに、心がざわつく感覚があって。
「これって、なんでこんなにドキドキするんだろう?」と、自分でも戸惑ったのを覚えています。
それからしばらく、日常の中のちょっとしたこと——たとえば、恋人との関係の中で、「もっとリードしてほしいな」と思う瞬間や、 「全部決めてもらえたら、私って楽なんじゃないか」と感じるとき、 そこにどこか“服従”に似た欲求があることに、少しずつ気づき始めていました。
もちろん、誰かに傷つけられたいわけじゃないし、暴力的なことを受け入れたいわけでもない。 けれど、“自分の選択を手放して、誰かに委ねること”に対する、心のどこかでの安心感—— それが、私にとっての最初の「Mっぽさ」だったのかもしれません。
“M”って、ただの受け身じゃない
最初はただ「されたい」「リードされたい」という思いだけだったのに、 いつしか私は、“される側であることの意味”を、もっと深く考えるようになっていました。
SMの“M”——マゾヒズムという言葉は、単に痛みや屈服を好む人、という意味だけじゃないと知ったとき、視界が一気に開けた気がしました。
実際のところ、M側って、とても繊細です。
相手の空気や機嫌、間の取り方、目線や声のトーン…… 全部を感じ取って、自分の反応を調整したり、素直に体をゆだねたり。
そこにあるのは、ただ“される”という立場以上に、 “関係性の中で自分の役割を全うすること”への意識であり、 ある意味では、“支配される”という演技を通して、自分が何者かになるという表現でもありました。
Mであることは決して無力ではなく、むしろ相手とのやりとりの中で、 お互いの感情をつくり出す「表現者」でもあるんだと、私は実感しました。
気づけば、Sの自分にも出会っていた
そんなふうに、“される”という立場を深く体験していく中で、 あるときふと、「してみたい」という気持ちが芽生えた瞬間がありました。
自分が感じていたドキドキや、相手に委ねる快感—— それを今度は“誰かに与えてみたい”と思ったとき、 私は自分の中に眠っていた「S性」に初めて気づいたんです。
最初は戸惑いました。 「自分はMだと思ってたのに…?」
でも、その感情は確かに本物で、 少しずつ、自分がSとして相手を導くことにも、同じような快感と満足を覚えるようになりました。
“優しく支配する”とか、“相手を落とし込んでいく感覚”とか、 一見冷たそうに聞こえる言葉の中にある、人と人との深い信頼や絆。
それは、S側になって初めて見える景色でした。
このブログで、一緒に“知る”ところから始めよう
いきなり誰かとSMプレイを始めるのは、確かにハードルが高いし、怖いこともあると思います。
だから私は、「まず知ること」から始めてほしいと思って、このブログを立ち上げました。
このブログでは、SMに興味がある人に向けて、様々な内容を、ゆるく、時に真面目に、でもリアルにお届けしていきます。
この世界に興味があるあなたが、 「知ること」で少し安心し、 「自分はおかしくない」と思えるようになって、 「やってみたい」気持ちを、少しずつ形にしていけたら。
そんなふうに思っています。
大丈夫。最初の一歩は、ここにあります。

